はじめに(李寧熙著「もう一つの万葉集」から)
「平安万葉集」と「もう一つの万葉集」(李寧熙著「もう一つの万葉集」から)
吏読について(李寧熙著「もう一つの万葉集」から)
李寧熙の横顔
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はじめに

 はじめに(李寧熙著「もう一つの万葉集」から)

 日本人の心のふるさとともいうベき万葉集に口出しするのはたいへん心苦しいのですが、あえて申しあげます。万葉集はそのほとんどが古代韓国語で詠まれております。

 万葉集に対する私の執念は、偶然からはじまった必然のようなものでした。

 数年前、日本の高校の歴史教科書の韓国関係記述が歪曲されているということで物議をかもしたことがあります。これが外交問題化し、韓日両国の国会議員によるにわか作りの「歪曲是正特別対策委員会」が作られました。

 その委員の一人として指名された私は、やむをえず歴史の勉強をするはめになりました。男性議員は「政治」に奔走し、根気の要る勉強はいつも女性議員におしつけられたものです。

 勉強をしているうちに、両国の歴史の記述差は現代史とか近世史とかにとどまらず、はるか古代にまでさかのぼっていることがわかりました。記述に誤りがあるならば、古代史から直していかなければなりません。服のボタンは、一番目を正しくはめることによって最後まで正しくはまる道理だからです。

 こうして韓日古代交流史探索の沼にはまりこんだ私は、実につらい思いをしながら、両国の古史書を調べなおしました。      

 まず韓国の古文書である「三国遺事」と「三国史記」、そして日本の「古事記」と「日本書紀」の訓み下しとその比較。   

 この難渋この上ない古書を掘りかえしながら驚いたことは、韓国の文献が純粋な漢文体で叙述されているのに比べ、日本の文献は漢字を使用してはいるが、多くの部分がかえって韓国の「吏読(いど)風」に書かれているということでした。

 「吏読(いど=idoo)」とか「吏読文(いどむん=idoo-moon)」というのは、古代韓国人が漢字を借り、その音訓を活用して韓国語を表記した借字文です。

 そしてさらに驚いたことには、このように「吏読風」で書かれた多くの部分、とくに「音よみをせよ」と注をつけた句節は、ほとんど例外なく韓国古代語だということでした。

 「吏読風」と、とくに「風」の字をつけたのは、吏読式漢字借字文ではあるが方法がやや異るからです。日本式音と訓を混用、韓国語と日本語をとりまぜて表記しているところに加えて、漢文体語句まで活用しているので、実に複雑多様な表現法になっているのです。

 百済(くだら)第八代王古爾(こい)王(即位二三四〜二八六年)が、王仁(わに)博士をして「千字文」を日本に伝えたことは周知のとおりです。

 漢字は当初韓国式音でよまれたでしょうが、次第に日本人たちがこれを自分たちのよみやすいように変えていきました。例えば韓国語の終声は日本にくると例外なく省略されてしまうこととか、B音がW音に変るなどです。

 しかし、もっとも変りやすいようでいて変らない保守性をもつのが言語です。韓国ではすでに消えさった古語、私たちの先祖が使用したであろうと考えられるものまで、日本の文献のなかに発見するようになり、これは思いもかけぬことでした。

 もともと私は史学者でなく作家ですから、史実の追跡より「言語」の魔力の方へ引きこまれるのはしかたのないことでした。日本式吏読即ち万葉仮名への没入はここからはじまりました。

 調子にのって、万葉仮名で書かれた歌の束、万葉集をよみはじめてから、またもや驚かずにはいられませんでした。そのなかの難訓歌、未詳歌としてしられていた歌はほとんど韓国語でよむことができたからです。

 「語義不詳」としてかたづけられていたいわゆる難解部分も、やはり同じようなものでした。

 「まさか、ここまで、どれもこれも……」

 と思いつつ半信半疑、くりかえしくりかえし検証してみても、どうしようもない結果があらわれてくるのです。

 これはなにを意味するのでしょうか。

 一部万葉人は韓国系渡来人だったのでしょうか。それとも韓国語で歌を詠む風潮が当時の流行として日本知識人社会を風靡していたのでしょうか。

 万葉歌を読んでほとほと感心するのは、その歌のもつ卓越した二重構造性です。日本、韓国、中国、三つの国の語文を一つにまとめて自国語へと昇華させ、自由奔放に歌った詩歌は他のどの国のどの時代にもみられなかったことと思われます。

 万葉歌の豊饒な語彙と繊細な言語感覚、そして歌意の含蓄性とでも申しましょうか、その重畳性は実に天才的です。

 『海を渡っていくと、文化はより眩しく開花する』というトインビーのことばは、まさに万葉歌のためにあるようです。

 そうであるだけに、万葉集を現在のまま、韓国語で書かれた部分をそのまま日本語であるという前提で「不詳」「未詳」にしておくのはたいへん残念なことです。今回ここに、とくに難解とされている、あるいは問題のある歌を十一首えらび、韓国語で解いてみました。

 その結果は百聞は一見にしかず、「謎めいた歌」が、「はっきりした輪郭をもつ歌」に変貌します。また、遠い昔の神さまだった雄略天皇、蝋人形のようだった額田王が、血の通う人間として私たちの目の前にその姿をあらわします。そしてなにより貴重なことは、これらの人々の詠んだ歌の「真の意味」をよみとることによって、歴史のなかの真実が掴めるということです。

 どうか平成元年が韓国、および韓国語を切りはなすことなく、歴史を読みなおす第一年度となりますよう心から祈願いたします。

 日本の神社の原型のような韓国の城隍堂(ソナンダン)には、道の通りすがりの人々がめいめい石を一つずつ祈願をこめて積み上げ、小石の山をつくっていきます。

 私の万葉集の解読作業も、万葉研究に積み重ねられる一つの石になるならばそれ以上望ましいことはありません。

       平成元年1月8日       李寧熙(イヨンヒ)



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「平安万葉集」と「もう一つの万葉集」

″平安万葉集″について

 日本の読者の皆さま、本書をお読みになる前にどうかつぎのことを前提としてご理解ください。

 それは、現在「万葉集」の名でよばれているものは、万葉集ではなく、″平安万葉集″とよぶべきものであるということです。まえがきにのべましたように、万葉集はそのほとんどが古代韓国語で詠まれております。韓国語で詠まれた部分は韓国語で訓まないかぎり訓んだことにならないのは当然のことです。

 韓国語混入の割合についてはまだ正確に掴んでおりません。全文韓国語の歌もあれば一部韓国語の歌もあり、そのまま日本語ですんなり訓めてしまうものもあります。古い時代に詠まれた歌ほど韓国語の割合は多くなっているように思えます。

 本書ではおもに難訓歌をとりあげましたので、ほとんどの歌が韓国語です。韓国語なるがゆえに難訓歌とされていたのでしょうから、これらの十一首から類推して、四千五百十六首のほとんどが韓国語であると決めつけることはできないと思います。

 しかし、概して前半部は大半が韓国語で詠まれていると申せます。さらに「枕詞(まくらことば)」がほとんど韓国語でありますので、古代韓国語で解読しないかぎり正確に訓めない歌の数は、万葉集のほぼ全首におよぶといってさしつかえないでしょう。

 今日「万葉集」の名で広くよまれているもの、それは"平安万葉集"と呼ばれるべきものです。なぜなら、これらは万葉仮名で表記された韓国語を、日本語であるという前提に立って再創作した歌集であるからです。

 この再創作はまことにみごとなできばえで、その芸術性をわたくしは高く評価します。

 この芸術的価値は、たとえ韓国語による訓み直しによって"もう一つの万葉集"(実はこれこそほんとうの万葉集なのですが)が甦っても、なんら変ることなく不滅の生命をもちつづけるでしょう。

 しかし、私がこれから解こうとしている″ほんとうの万葉集″は、人間本来のかたちというか飾らぬ魅力というか、とにかくすさまじい迫力があります。

 おそらく、万葉集をなんの疑いももたずに今日まで愛読きれてきた読者の方は、狐につままれたようなお気持でしょう。

 ″平安万葉集″の意味を分かりやすく例をあげて説明いたしましょう。

 万葉集巻一の七に、額田王(ぬかたのおおきみ)の有名な一首、「金野乃(あきののの)……」があります(本書第八草)。この歌は、額田王が斉明天皇の口述を代詠した戦争予告の歌です。ところが平安時代の訳者は古代韓国語で詠まれたこの歌を訓むことができず、あるいはなんとか日本語として訳そうとした結果「秋(あき)の野の み草刈り葺(ふ)き宿(やど)れりし 宇治(うじ)のみやこの 仮廬(かりいほ)し思ほゆ」という歌をり出しました。

 本歌は二重歌ではありません。額田王は「秋の野の……」と詠んだおぼえがないのですから(「秋」をテーマとした文字えらびをした気配はあります)。つまりこの歌は訳者の再創作です。

しかも驚くべきことに秀歌です。

 「秋の野の」を万葉集の中で一番好きだという人すら多いのです。とくに男性にそれが多いようです。それはあくまでも美しい自然描写でありながら「詩(うた)の妖精」のような額田王が、処女喪失を回想するがごとき強烈なエロティシズムを感じさせる不思議な歌だからです。中西進先生は「万葉の秀歌」のなかで、「あの夜が忘れがたく思われる、という箇所に、少女の忘れがたい初体験がこめられていると、富士谷御杖や太田水穂がいっている」と書かれております。まさに〃平安万葉集″的秀歌であるのですが、額田王はこのように詠んだおぼえがないのです。なんと興味深いことではありませんか?

 記・紀・万葉のなかに韓国語がある、あるいは韓国語で書かれているということは、すでに多くの人々が指摘してきたことです。しかし、本格的に韓国語で解こうという作業は行なわれておりません。

 むしろその作業はアマチュアの手にゆだねられております。ごく最近では、朴炳植(パクピョンシク)氏(「万葉集の発見」)が枕詞の解読に、中野矢尾女史の指導下の研究グループ(「人麻呂の暗号」)が歌の解読に挑戦、そして赤瀬川隼氏(「潮もかなひぬ」)にもいくつかの提案が散見されます。

 私はこれらの努力に心から拍手をおくります。このような努力のつみ重ねによって古記録を韓国語でよみなおす必要性への認識は大いに高まりました。しかし、これらが正しい解読をしているかというと、残念ながら部分的に鋭い指摘があることを認めながらも、「解読」というにはほど遠いといわざるをえません。

 ″もう一つの万葉集″、すなわち″本来の万葉集″の解読は、歴史的事実を明確にするため大切な作業であり、「こうも訓めるのでは?」という話題提起の時期はすでに終り、本格的に訳読にとりくむ段階の作業でもあると信じます。

 私が本書でことさら難訓の歌をとりあげて解読したのは、″もう一つの万葉集″すなわち韓国語で書かれた″ほんとうの万葉集″の実在を、まず信じていただきたかったからにほかなりません。

 訳読にさいして使用したテキストは、「新版・新校万葉集」(創元社)です。この本は、万葉仮名に訓み下しのルビがふってある、ただそれだけの本です。あらゆる固定観念を排して訓む、そのことだけに集中しました。

 そして私なりの訳文ができたあとで、「日本古典文学全集」(小学館)及び「日本古典文学大系」(岩波書店)の訳文と読みくらべました。

 記・紀・万葉の解説書に、「古代韓国語でよむと、従来、日本人の思いもかけなかった奇抜な理解の仕方がある」という説明を見かけますが、まさにそれこそ私の実感なのです。「日本人の開発した、なんと奇想天外な理解の方法よ!」。

 どうか誤解なさらないでください。私が本書で紹介する訳読は、「こういう訓み方もある、ああいう訓み方もある、という色々な訓み方のなかの一つ」ではないのです。古代韓国語で詠まれた歌を、はじめて古代韓国語で訓み、それをここに明らかにするのです。

 私は、ただひたすらに「解くこと」に専心しました。素直な気持で解いてみて、その訳文の意味から、どのように歴史を考えなおしていくべきか、それはむしろ読者の皆さま、そして歴史の専門家の方におまかせしたいと存じます。

 もちろん、私も私なりに気づいたことを少し書きましたが、それは一作家の「文学的探索」にすぎません.しかし、これから歴史をよみなおしていく上で、一つの参考になろうかと思います。


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吏読について

 

 吏読とは、世紀前の古代韓国時代から使われていた「漢字で韓国語を表記する」借字法で、

 @何字かの漢字の音を合わせて韓国語を表現する(この場合、漢字の初声または初声・中声だけをとってよむことが多い)

 A訓をそのまま韓国語の単語に切り替える

 B音訓混合よみで韓国語の単語を表現する

 C訓が意味する複数の単語の第一字目だけをとり、それを集めて一つのことばを表現する

 D音訓混合でCのよみ方をする

 などのやり方なのですが、

 吏読のよみ方と万葉仮名のよみ方は非常に似ています。しかし吏読文が万葉仮名文に比べて一段と難渋なのは、韓国音の発音が日本語に比べて一段と複雑多様な点にあります。重母音あり終声ありで、それをいちいち綿密に表記するため、いきおいよみ方がむずかしくなるのです。それに、助詞とか接続詞、形容詞、形容句にいたるまでこまごまと表記法をきめてあるので、その「約束」を丸暗記しないことには、完全読破が不可能だともいえるからです。これに比べると、万葉仮名の書き方は明瞭で単純です。(李寧熙著「もう一つの万葉集」86ページから)

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李寧煕(イ ヨンヒ)の横顔(「もうひとりの写楽」出版記念講演会にて)

●1931年東京で生まれる。終戦直前(1944 年)父母と共に祖国韓国に帰る。梨花(イファ)女子高校二 年在学中、詩専門誌「竹荀」から、詩「月を転がす」 で文壇にデビュー(1948年)。梨花女子大学 校英文科卒業(1954年)。韓国日報「新春文 藝」童話部門当選、当選作「小さい舟の夢」(1955 年)。

●児童月刊誌「新しい友」編集長・主幹 (1956〜1960年)、韓国日報に入社。文化部 長、政治部長、論説委員歴任(1960年〜1981 年)。

●国会議員当選。韓日議員聯盟幹事、オリンピッ ク特別委員会議員被任、韓日古代語の比較研究を 始める(1981年〜1985年)。

●公演倫理委員会委員長(1985年〜1988年)。
●受賞、大韓民国児童文学賞他。著書、創作童話 集「お星様を愛したお話」ほか22、随想集5。

●夫、金耀燮(キムヨソップ)は元老詩人(1997年11月3日逝去)

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