怕ろしき物の歌 序文
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 序文〈そして『万葉集』は残った〉
 
  「七世紀にさかのぼると、濃霧にすっぽり包まれてしまう…」。日本の
 古代史にかかわる記述の多くは、このような書き出しで始められています。
  そこで私は、次のような言葉で本書を書き始めたいと思います。
 『万葉集』を古代韓国語で訓(よ)み解(と)けば、濃霧はさらさら消え失せ、
 七世紀の日本が鮮やかに現われて来るでしょう−
  そしてその姿。それは熾烈な政権争いの情景です。
 
  誰が誰とどのように古代の政権を取り争って来たのか、『万葉集』はこ
 れに関する克明かつ冷静な大実録であり、類(たぐい)稀な「歌う歴史書」
 であると、私は断言して憚(はばか)りません。
  今回は、これら政争歌のうち、地方を背景にした作品を広く集め、七・
 八世紀の政治状況を全国的に俯瞰することにしました。巻十六の歌にスポ
 ット・ライトをたて続けに当てた理由もここにあります。
 
 『万葉集』巻十六は「由縁のある雑歌」(有由縁雑歌)篇です。すべてい
 われのある、つまり何等かの事情のある、若しくは何等かの事件と関連す
 る歌が収録されています。
  なかでも巻末の「怕(おそ)ろしきものの歌三首」は、白村江(はくすきの
 え)の戦い、天武弑害など七世紀後半の大事件に関するもの。題詞さなが
 ら、おそろしき歌であると言えるでしょう。従来の解読によると、まるで
 おそろしくない歌なのですが…。
  難解で有名な「能登国歌(のとのくにのうた)三首」の内、今回解読した
 二首も、大工さん(和之(ファチ))たちによる事件の歌です。八世紀前半、
 新羅(シンラ)や渤海(バルヘ)との交流によって興された能登の建設ブーム
 が、手に取るように見えてきます。
 
  一方、巻十四「東歌(あづまうた)」は、東国(あづまのくに)の民謡をも
 とにして歌われたものと見做されて来ました。
  しかし、歌の大半は一種の政治的報告書とされるべきもので、しかも二
 重詠み。表向き性愛歌、裏向きリポートです。東国に伝えられていた民謡
 を活用し、政治的なメッセージを内密的にはめ込んだものと推量されます。
  本書で訓み解いた三題は、壬申(じんしん)の乱決起を前にした天武側が、
 強力な鉄造り集団を持つ東の勢力を抱きこもうとしている様子を見事に
 伝えています。 
 
 「越(こし)」で詠まれている巻十八の大伴宿禰家持(おほとものすくねやか
 もち)の歌は、古代韓国語が古代日本語になり変わる過程をまざまざと表
 わすもので特に興味を惹きます。家持の作品は、日・韓比較言語学の角度
 からも今後より一層注目されなければならないでしょう。
  この歌もまた歌争歌です。
 藤原(ふぢはら)対橘(たちばな)。古代日本朝廷の対決構図の中で詠まれた
 しのぎを削る勢力争いの歌。
 
 『万葉集』を古代韓国語で解くと、このように歴史が見えてきます。
 『万葉集』は、花鳥風月や恋心をあでやかに詠み上げたもの、またおごそ
 かな儀式などの歌と誤読されて来たお陰で、皮肉にも無事生き残りました。
 『万葉集』が古代韓国語で正しく解かれていたとすれば、このおそろしき
 政争歌はとうの昔に「消されていた」筈ですから。
  『万葉集』は、まさに奇跡の古史料です。
 この奇跡の史料を通して、七・八世紀を新しく見直そうではありませんか。
 
  一九九三年八月         李 寧煕
 
 
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