甦える万葉集 序文<『万葉集』とは何か>
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      序文〈『万葉集』とは何か〉
 
 『万葉集』とは何でしょう。
  これは、一見平凡のようでありながら、実は突拍子もない疑問なのです。
 なぜなら、『万葉集』は、「五〜八世紀にかけて詠まれた主に口誦歌を集め
 た歌集」と結論づけられているからです。ゆるぎないこの定説をさしおき、
 私は敢えて問題を提起します。
  『万葉集』とは何か。
  その問いかけに対する私自身の結論をここに述べます。
  『万葉集』は単なる歌集ではありません。
  『万葉集』は、主に七世紀後半に書かれ、あるいは発言された歌治コメ
 ントを集めた大巻です。
  『万葉集』は、全二十巻四千五百十六首から成り、ご存知のように第一
 巻は八十四首の「雑歌(ざふか)」の部です。大歌集である『万葉集』はな
 んと「雑歌」から始まっているのです。不思議に思われませんか。そこで
 第二の疑問、
 
 「雑歌」とは一体何でしょう。
 『古語大辞典』(小学館)は、この「雑(ざふ)」を「和歌や俳諧の分類の
 一つ。歌集では雑多な歌」と説明しています。
  常識的には巻末に置くべき「その他、雑」を冒頭に置いたのは何故でし
 ょう。
  これに対しても、私の考えをここにはっきり述べておきます。
  『万葉集』の「雑歌」には、「雑多な歌」の意味はありません。
  「雑歌」は、「雑歌(ジャブノレ)」と読むべきものです。
  韓国語で「ジャブ」とは「取る」の意、「ノレ」は「歌」のこと。「ジャ
 ブノレ」とは「取り歌」即ち「国取りの歌」「政権取りの歌」、つまり「政
 争歌」です。
 
  雑歌(ジャブノレ)が政争歌なるが故に、『万葉集』は雄略天皇の即位宣
 言の歌を巻一の巻頭に据え、舒明天皇の国見(くにみ)の歌(望国之時御製
 歌)をこれに続けているのです。
 この巻一には、主に天智天皇系と天武天皇系との政争関連歌が集められて
 おり、巻三の方の「雑歌」の部には、高市皇子(たけちのみこ)(おそらく
 高市は天皇であったと思われる)をめぐる政争歌で埋められています。そ
 して巻二は、「相聞」(贈答歌)と「挽歌」を通して、七世紀後半から八世
 紀初めにかけて起った政治事件を鳥瞰し得る編集の仕組になっています。
 
  従って、巻一、巻二、巻三を真の訓み下しによって追究すると、当時の
 政治状況が実によく見えてくるのです。
 重ねて申し上げましょう。
 
  『万葉集』は、ただ花鳥風月や恋心を詠んだ歌、儀礼ごとだけを詠んだ
 歌ではなく、歌の形式をととのえているものの実は政治コメントであり、
 政治的行動を促す檄であり、政情を報告するリポートであり、かつ体制批
 判、社会風刺、陳情などの歌であるのです。従来単なる民謡、庶民の歌と
 されてきた巻十四の「東歌(あづまうた)」においてさえ、政争関連歌が多
 いのに驚かされます。
 
  さてここで第三の疑問が起ります。
  『万葉集』編纂の中心人物であったと伝えられる大伴家持(おほともの
 やかもち)は、何故歌を集めに集め、そして残したのでしょう。それは「執
 念」以外の何物でもありません。
  家持の祖父は、天武天皇の大クーデター「壬申(じんしん)の乱」に参与
 した大納言兼大宰帥(だざいのそつ)従二位大伴卿(おほとものまへつきみ)
 こと、大伴宿禰安麻呂(おほとものすくねやすまろ)です。
  父も大宰帥兼大納言大伴宿禰旅人(おほとものすくねたびと)。
  しかし家持の代になると藤原勢に押され一地方官言にまで零落します。
 
  天皇は百済系から高句麗系、伽耶系、新羅系、そしてまた百済系へと目
 まぐるしく変り、権力の無情な推移も展開される中で、一貫して貞節を守
 り、国作りに従事してきたのは我が大伴家である。そのことを家持は言葉
 で語ろうとせず、膨大な政治コメント集をありのままの姿で残すことによ
 って世に伝えようとしたのではないかと思われます。
  同時に、『日本書紀』の大いなる歪曲記述を指摘批判する反証として、
 この史書に登場する人物たちの生の声を集めに集めたのではないかとも
 思われます。
 
  家持の意図はともあれ、私はここでまた断言いたします。
  『万葉集』は、「もう一つの日本書紀」です。
  いえ、「正しい日本書紀」であると言い直さなければならないでしょう。
 古代韓国語(高句麗・百済・新羅など地方別の方言を包括する古語)で正
 しく訓み直すことによって、『万葉集』は『書紀』を補い、真の正史を伝
 える貴重な史料として今生まれ変りました。
 『万葉集』は甦(よみがえ)ったのです。
 
  一九九三年正月
              李 寧煕
 
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