「平安万葉集」と「もう一つの万葉集」
[HOME] 戻る

″平安万葉集″について(「もう一つの万葉集」から)

 日本の読者の皆さま、本書をお読みになる前にどうかつぎのことを前提としてご理解ください。

 それは、現在「万葉集」の名でよばれているものは、万葉集ではなく、″平安万葉集″とよぶべきものであるということです。まえがきにのべましたように、万葉集はそのほとんどが古代韓国語で詠まれております。韓国語で詠まれた部分は韓国語で訓まないかぎり訓んだことにならないのは当然のことです。

 韓国語混入の割合についてはまだ正確に掴んでおりません。全文韓国語の歌もあれば一部韓国語の歌もあり、そのまま日本語ですんなり訓めてしまうものもあります。古い時代に詠まれた歌ほど韓国語の割合は多くなっているように思えます。

 本書ではおもに難訓歌をとりあげましたので、ほとんどの歌が韓国語です。韓国語なるがゆえに難訓歌とされていたのでしょうから、これらの十一首から類推して、四千五百十六首のほとんどが韓国語であると決めつけることはできないと思います

 しかし、概して前半部は大半が韓国語で詠まれていると申せます。さらに「枕詞(まくらことば)」がほとんど韓国語でありますので、古代韓国語で解読しないかぎり正確に訓めない歌の数は、万葉集のほぼ全首におよぶといってさしつかえないでしょう。

 今日「万葉集」の名で広くよまれているもの、それは"平安万葉集"と呼ばれるべきものです。なぜなら、これらは万葉仮名で表記された韓国語を、日本語であるという前提に立って再創作した歌集であるからです。

 この再創作はまことにみごとなできばえで、その芸術性をわたくしは高く評価します。

 この芸術的価値は、たとえ韓国語による訓み直しによって"もう一つの万葉集"(実はこれこそほんとうの万葉集なのですが)が甦っても、なんら変ることなく不滅の生命をもちつづけるでしょう。

 しかし、私がこれから解こうとしている″ほんとうの万葉集″は、人間本来のかたちというか飾らぬ魅力というか、とにかくすさまじい迫力があります。

 おそらく、万葉集をなんの疑いももたずに今日まで愛読きれてきた読者の方は、狐につままれたようなお気持でしょう。

 ″平安万葉集″の意味を分かりやすく例をあげて説明いたしましょう。

 万葉集巻一の七に、額田王(ぬかたのおおきみ)の有名な一首、「金野乃(あきののの)……」があります(本書第八草)。この歌は、額田王が斉明天皇の口述を代詠した戦争予告の歌です。ところが平安時代の訳者は古代韓国語で詠まれたこの歌を訓むことができず、あるいはなんとか日本語として訳そうとした結果「秋(あき)の野の み草刈り葺(ふ)き宿(やど)れりし 宇治(うじ)のみやこの 仮廬(かりいほ)し思ほゆ」という歌をり出しました。

 本歌は二重歌ではありません。額田王は「秋の野の……」と詠んだおぼえがないのですから(「秋」をテーマとした文字えらびをした気配はあります)。つまりこの歌は訳者の再創作です。

しかも驚くべきことに秀歌です。

 「秋の野の」を万葉集の中で一番好きだという人すら多いのです。とくに男性にそれが多いようです。それはあくまでも美しい自然描写でありながら「詩(うた)の妖精」のような額田王が、処女喪失を回想するがごとき強烈なエロティシズムを感じさせる不思議な歌だからです。中西進先生は「万葉の秀歌」のなかで、「あの夜が忘れがたく思われる、という箇所に、少女の忘れがたい初体験がこめられていると、富士谷御杖や太田水穂がいっている」と書かれております。まさに〃平安万葉集″的秀歌であるのですが、額田王はこのように詠んだおぼえがないのです。なんと興味深いことではありませんか?

 記・紀・万葉のなかに韓国語がある、あるいは韓国語で書かれているということは、すでに多くの人々が指摘してきたことです。しかし、本格的に韓国語で解こうという作業は行なわれておりません。

 むしろその作業はアマチュアの手にゆだねられております。ごく最近では、朴炳植(パクピョンシク)氏(「万葉集の発見」)が枕詞の解読に、中野矢尾女史の指導下の研究グループ(「人麻呂の暗号」)が歌の解読に挑戦、そして赤瀬川隼氏(「潮もかなひぬ」)にもいくつかの提案が散見されます。

 私はこれらの努力に心から拍手をおくります。このような努力のつみ重ねによって古記録を韓国語でよみなおす必要性への認識は大いに高まりました。しかし、これらが正しい解読をしているかというと、残念ながら部分的に鋭い指摘があることを認めながらも、「解読」というにはほど遠いといわざるをえません。

 ″もう一つの万葉集″、すなわち″本来の万葉集″の解読は、歴史的事実を明確にするため大切な作業であり、「こうも訓めるのでは?」という話題提起の時期はすでに終り、本格的に訳読にとりくむ段階の作業でもあると信じます。

 私が本書でことさら難訓の歌をとりあげて解読したのは、″もう一つの万葉集″すなわち韓国語で書かれた″ほんとうの万葉集″の実在を、まず信じていただきたかったからにほかなりません。

 訳読にさいして使用したテキストは、「新版・新校万葉集」(創元社)です。この本は、万葉仮名に訓み下しのルビがふってある、ただそれだけの本です。あらゆる固定観念を排して訓む、そのことだけに集中しました。

 そして私なりの訳文ができたあとで、「日本古典文学全集」(小学館)及び「日本古典文学大系」(岩波書店)の訳文と読みくらべました。

 記・紀・万葉の解説書に、「古代韓国語でよむと、従来、日本人の思いもかけなかった奇抜な理解の仕方がある」という説明を見かけますが、まさにそれこそ私の実感なのです。「日本人の開発した、なんと奇想天外な理解の方法よ!」。

 どうか誤解なさらないでください。私が本書で紹介する訳読は、「こういう訓み方もある、ああいう訓み方もある、という色々な訓み方のなかの一つ」ではないのです。古代韓国語で詠まれた歌を、はじめて古代韓国語で訓み、それをここに明らかにするのです。

 私は、ただひたすらに「解くこと」に専心しました。素直な気持で解いてみて、その訳文の意味から、どのように歴史を考えなおしていくべきか、それはむしろ読者の皆さま、そして歴史の専門家の方におまかせしたいと存じます。

 もちろん、私も私なりに気づいたことを少し書きましたが、それは一作家の「文学的探索」にすぎません.しかし、これから歴史をよみなおしていく上で、一つの参考になろうかと思います。


[TOP]  [HOME] 戻る