『まなほ』既刊号概要
1999年度(@:1999年7月から2000年5月まで)   [TOP]  [HOME]  
1999年度No1
まなほ創刊号
(1999/7/31)
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『万葉集』巻3-264・柿本人麻呂作/巻3‐265長忌寸奥麻呂作
・人麻呂の有名歌は文武夫人藤原宮子へのラブレターだった。
・日本古典の代表的作品『源氏物語』のモデルは6・7世紀の万葉人!という新説も紹介。
・日本史の真相に迫る鍵は『万葉集』の真の解読と『源氏物語』『日本書紀』『古事記』などの読み合わせにあった。

1999年度No2
まなほ第2号
(1999/9/30)
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『万葉集』巻3-266・柿本人麻呂作
・白錦後苑は慶州「雁鴨池」のミニチュア版。
・「飛鳥池遺物の謎」その1「富本銭」 その2「飛鳥池井戸枠の落書き」
※韓国語のフォーカスで遺跡発掘を追及すると、鮮明な意味が浮かび上がってくる。
※1号・2号の巻3三首の連続解読で、『万葉集』の明確な編集方式が判明。
1999年度No3
まなほ第3号
(1999/11/30)
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『万葉集』巻2-91・天智天皇作/『万葉集』巻2-92・鏡王女作
・相聞歌には違いないが具体的で衝撃的な夫婦の会話から歴史の真実があからさまになる。
・不比等は天武の子だった。
・不比等の父となった藤原鎌足は、大和の鉄を牛耳る「鉄の親分」だった。
1999年度No4
まなほ第4号
(2000/1/31)
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『万葉集』巻2-93・鏡王女作 『歌う歴史』より
・「天武天皇は淵蓋蘇文か」
※『日本書紀』などと比較検討すると万葉歌の作歌時期の特定も可能になる。
※鎌足の動きを封じた鏡王女の宣言。権力闘争の陰に「鉄」を巡る争いがあった。
1999年度No5
まなほ第5号
(2000/3/31)
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『万葉集』巻2-94・藤原卿作 『歌う歴史』より
・「古代韓国語でよまれた日本の古地名」
・韓国語になった日本語
※91〜94(95の大意を含む)の連続解読で、鏡王女の出自、不比等出生の秘密など、日本歴史の根源に迫る。『日本書紀』の読み直しも可能になる。
1999年度No6
まなほ第6号
(2000/5/31)
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数詞の語源「一・二・三…十・百・千・萬」『歌う歴史』より
・「日本列島覇権を争う濊と貊」
・神々の名前を解くと歴史が現れる。
※日本数詞は高句麗語だった。基礎語の一つ数詞が整然と解明され、数詞に込められた高句麗の野望が明らかに……。
2000年度(A:2000年7月から2001年5月まで)   [TOP]  [HOME]  
2000年度No1
まなほ第7号
(2000/7/31)
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三重県無形文化財「大王町わらじ曳き」祭文 歌う歴史より
・「文武王は淵蓋蘇文の息子なのか」
※大王町に伝わる祭は文武救出劇の再現だった。新羅王文武は、唐の圧迫から逃れるため、死んだことにして日本へ亡命した。嵐で遭難した文武を救った大王町の人々は、祭を今に伝える。
2000年度No2
まなほ第8号
(2000/9/30)
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『万葉集』巻8-1419・鏡王女作 歌う歴史より
・法隆寺の謎の十二文字・新羅の「ハンガウィ」と日本の「賀我比」
・日本に渡ったサブサルゲの話
・語源エッセイ「老人運転」
※鎌足の息子貞慧は、中大兄に殺された。鏡王女の歌は、中大兄と同母妹間人の恋も告発する。
2000年度No3
まなほ第9号
(2000/11/30)
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月の異称「睦月から皐月まで」 歌う歴史より
・「韓・日両国の身体語」
・編集部のティータイム
※月の異称は「農耕と鉄のカレンダー」だった。
2000年度No4
まなほ第10号
(2001/1/31)
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『日本書紀』の書かれ方T 副題『万葉集』を読むと日本史が見える
・天武4年から天武10年までの『日本書紀』の記述を解明。
・神功皇后紀の難訓神名に隠された暗号を新解読。
・仮名(かめい)で密かに来日した新羅王子=後の文武は実父天武と対面した。
・神功皇后の新羅出兵が意味するものは?
2000年度No5
まなほ第11号
(2001/3/31)
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『万葉集』巻8-1418・志貴皇子作
・「2002年韓日共催ワールドカップサッカーのためのシンポジウム」主要論文要旨:韓国人が見た日本「清潔、団結、そして優越劣等意識」
・「鏡王女探訪」(寄稿)
※春雑歌の冒頭にある有名歌の真の意味は…。志貴皇子は天智の子ではなかった。何の「懽び」の歌か分からなかった誤訳歌。天智一派による鎌足の子貞慧(じょうえ)暗殺を暴露する。
2000年度No6
まなほ第12号
(2001/5/31)
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『日本書紀』の書かれ方U
・編集部のティータイム(韓国語四方山噺)
※天武11年から持統紀まで。天武の死と後継争い、持統朝の実態から文武即位に至る過程を徹底追及。文武には60歳で持統との間に設けた娘がいた。「60にあたりて生める……」という名の皇女は多紀。
※巻末に新解読済み関連万葉歌を掲載。
2001年度(B:2001年7月から2002年5月まで)    [TOP]  [HOME]  
2001年度No1
まなほ第13号
(2001/7/31)
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月の異称U「水無月から師走まで」
・『万葉集』から見た七、八世紀…歴史と言葉の絆について
・「幸福」の日本語「幸」は新羅言葉
・「再び飛鳥」(寄稿)
・編集部のティータイム(合い言葉は「原文を探せ」)
※第9号の睦月から皐月までと併せ、師走までの12ケ月を解読。月の異称は農耕と鉄のカレンダーだった。「魏志倭人伝」の官職名シマコは「鉄集め人」ヘココは「稲取り入れ官」。「鉄と稲」は古代の富の構図。
2001年度No2
まなほ第14号
(2001/9/30)
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『続日本紀』の童謡を訓む
・汗の結晶報われる(明日香取材同行記)
・編集部のティータイム(「鉄物語」)
※『続日本紀』唯一の童謡は、白壁王こと光仁天皇の政治的後ろ盾が鉄だったことを物語っていた。「能にあって能に非ず」といわれ、演者が精進潔斎して臨む神聖な謡曲「翁」のドウドウタラリとは何を意味するのか。
2001年度No3
まなほ第15号
(2001/11/30)
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『万葉集』巻第12-3098
・夏の難波の雨の中(大阪取材同行記)
・「性愛歌なのか反体制の歌なのか」 『歌う歴史』より
※娘を皇位につけようとしていた持統の思惑をよそに、勝手に結婚してしまった多紀皇女。驚いた持統の罵声と人々の批判の声を代弁した歌。この解読は第37号の道鏡出自解明に繋がる。
2001年度No4
まなほ第16号
(2002/1/31)
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奈良・明日香の地名に迫る
・吉野の鮎(明日香取材同行記U)
※明日香地方は「どこを掘っても鉄が出る」。現地取材を交え、その地名の意味を解読。飛鳥・御所・葛城・橿原・磯城・曽我・蛇穴・三輪・斑鳩・檜隈・狭井・忍坂……地名から歴史が見えてくる。
2001年度No5
まなほ第17号
(2002/3/31)
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親善特集・日本語から習える韓国語I
・「李寧煕の法則」を中心に
・編集部のティータイム(白兎物語)
※古代韓国語は法則に従って整然と日本語に成り変わった。法則を適用すれば日本語から韓国語に行き着くことができる。語源が分かると、日本語の意味も鮮明になる。「李寧煕の変転の法則」1〜5まで。
2001年度No6
まなほ第18号
(2002/5/31)
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日本語から習える韓国語U
・韓日単語対応表
※李寧煕の「変転の法則」続き:第17・18号で取り上げた単語の日・韓対応表を収録。 日本語125単語の語源が一挙に判明。幼児語・儀式用語・技術用語は変化しない。ハッケョイ・残った・つるぎ・鎌・めんめ・まんま……現代日本語にそのまま使われている古代韓国語の数々。
2002年度(C:2002年7月から2003年5月まで)    [TOP]  [HOME]  
2002年度No1
まなほ第19号
(2002/7/31)
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(韓国国宝)「迎日冷水里新羅碑」碑文の解読
・ 地名・人名を中心に
・神光取材同行記
・狭井川のことなど(寄稿)
  ※韓国内現存最古の新羅碑に記された文章は鉄の採取権を保証する内容だった。新羅男は日本に渡り、神になった。日本神話が甦る503年の記録。
2002年度No2
まなほ第20号
(2002/9/30)
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(国宝)「隅田八幡人物画像鏡銘」銘文の解読
・地名・人名を中心に
・編集部のティータイム(20号記念鼎談・『日本書紀』の読み方)
※銘文は新聞記事のように単純明快だった。 503年は日本で本格的な製鉄が始まった古代日本産業革命の年。韓国国宝と日本国宝はどちらも鉄に関する記録だった。
2002年度No3
まなほ第21号
(2002/11/30)
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『万葉集』巻2-103・天武天皇作
・王の地・知多(取材同行記)
・「平成大直刀」作りと鹿島神宮「御船祭」
※捨て置いた妻、五百重娘に子供が出来た。うろたえる老天武。 一見平凡な歌も衝撃的な二重歌だった。天武・文武父子に関わる法海寺取材で明らかになった知多の鉄関連地名解読も併せて収録。古代の製鉄場に現代の製鉄所がある不思議。古地名が証明する鉄産地。
2002年度No4
まなほ第22号
(2003/1/31)
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『万葉集』巻2-104・藤原夫人作
・鉄の王国美濃(取材同行記)
・地名信濃を考える(寄稿)
※「相手は子だぞ」と詰め寄る天武に、「天皇に言おう」と藤原家の矜持で応える五百重娘。生まれた子新田部皇子は結局天武の子にされた。壬申の乱時、天武の食邑として重要な役割を果たした美濃は「鉄の王国」だった。美濃一宮南宮大社に伝わる「蛇山神事」の秘密に迫る。
2002年度No5
まなほ第23号
(2003/3/31)
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『万葉集』巻3-262・柿本人麻呂作
・編集部のティータイム(鉄物語U)
※得意技「セクシャルな悪口」で成人した新田部皇子に「お前の本当の親父は新羅の浮気者、文武だ」と告げる人麻呂。人麻呂は藤原貞慧の落とし胤なのか。
2002年度No6
まなほ第24号
(2003/5/31)
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神々の名前を解くI
・金砂田楽を見る
※福姫・曽福女・楽々福・菅福・素戔鳴…神々の名前を解くと、生身の韓国人が続々現れる。素戔鳴は召西奴の息子沸流なのか。古代出雲の製鉄は1世紀に始まっていた?
2003年度(D:2003年7月から2004年5月まで)    [TOP]  [HOME]  
2003年度No1
まなほ第25号
(2003/7/31)
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神々の名前を解くU
・奥出雲たたら同行記
・たたら用語解読一覧
※可美葦牙彦舅尊・天照大神・大日孁貴・豊受大神・大穴牟遅・下照姫・稚國王・味耜高彦投神・高皇産霊尊・比売許曽・金屋子神
※『書紀』冒頭の神は「鉄刀」をあらわす名前だった。最高神とされる天照はじめ、女神たちの名前を解くと「鉄」がぞろぞろ……。現地取材による考証をまじえ、解読。
2003年度No2
まなほ第26号
(2003/9/30)
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蚩尤の謎を解く
・編集部のティータイム(弥生繰り上がり大変記)
・ブルガサリ(韓国の民話から)
・宇陀野を行く(寄稿)
※中国・韓国の古史書に登場する蚩尤(チウ)天王。黄帝を悩ませた伝説の製鉄王は古代韓国語で「物作り王」をあらわす名前だった。
※『まなほ』16号で解明された明日香の地名から、鉄を求めて宇陀野を徹底的に探査した寄稿は今までの解読の正しさを証明した。鉄にまつわる韓国民話も紹介。
2003年度No3
まなほ第27号
(2003/11/30)
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『万葉集』巻8-1608・弓削皇子作
・弓削皇子探索レポート
・編集部のティータイム(『万葉集』の詠まれ方)
※弓削皇子は、丹比真人こと新田部皇子に父親殺しを唆していた。
※新解読に基づき、『源氏物語』から実在人物を探し出す「探索レポート」『万葉集』と『源氏物語は日本史真相追究の鍵だった。
2003年度No4
まなほ第28号
(2004/1/31)
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『万葉集』巻8-1609・丹比真人作
・ 宇陀の野に品治を探す
・ その後の但馬皇女と新田部皇子
・ 編集部のティータイム(同行記こぼれ話)
※「親父を殺せ」と迫る弓削に、毅然と「父と対決せぬ」と応える新田部皇子。相聞歌が詠まれたのは持統10年フ月〜8月と判明。
2003年度No5
まなほ第29号
(2004/3/31)
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謎の地名・人名を解く
・天神様の謎に迫る
・「猿投・挙母」同行記
・風の神シナツヒコを追って(寄稿)
※愛知県豊田市の旧名挙母に秘められた古代史。周辺難訓地名の解読から天智・天武の葛藤も見える。天神様こと菅原道真も、製鉄関連者だった。
2003年度No6
まなほ第30号
(2004/5/31)
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役行者の謎を解く
・役行者覚え書き
・役行者と『源氏物語』
※修験道の祖、役行者は新羅に渡り、新羅郷歌『老人献花歌』を遺していた。『老人献花歌』の一部新解読で真実に迫る。役行者と『源氏物語』の接点とは何か。
2004年度(E:2004年7月から2005年5月まで)    [TOP]  [HOME]  
2004年度No1
まなほ第31号
(2004/7/31)
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『万葉集』巻4-696・石川広成作
・銅鐸の出土地を考察する(その1) (寄稿)
・編集部のティータイム(「李寧煕後援会」5周年を迎えて)
※文武の息子広成は始祖品治に呼びかける歌を詠っていた。天日槍の但馬は品治の鉄の場でもあった。出土地の実地踏査記録で銅鐸と鉄の関連が見えてくる。ティータイムでは出会いの数々を紹介。
2004年度No2
まなほ第32号
(2004/9/30)
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『万葉集』巻8-1600・1601・石川朝臣広成作
・『源氏物語』と石川広成
・銅鐸の出土地を考察する(その2)(寄稿)
※「自分か鉄作りをしに行けるよう頼んでくれ」広成は大伴家特に転職嘆願書を書いていた。皇子として『源氏物語』に登場していた広成兄弟。『源氏物語』と実在人物の比較系図掲載。
2004年度No3
まなほ第33号
(2004/11/30)
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『万葉集』巻8-1539・1540・聖武天皇作
・銅鐸の出土地を考察する(その3)(寄稿)
※聖武は「東国へ逃げた」のではなく、鉄を取り戻しに行ったのだった。濊の復興へ情熱を掛ける聖武の悲願が東大寺だった。判明している銅鐸出土地300箇所の約半数150箇所の実地踏査記録完結編。
2004年度No4
まなほ第34号
(2005/1/31)
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『万葉集』巻6-1209・大伴家持作・巻6-1030・聖武天皇作
・大伴家持と『源氏物語』
・編集部のティータイム(「鉄お呉れ」神社に初詣)
※家持は「製鉄場を把握しに行きましょう」とはっぱをかけ、「そっくり戴こう」と応じる聖武。二人の深い絆がよく分かる。ティータイムでは月読命の正体を追究。大伴家持・坂上郎女・聖武関係略図掲載。
2004年度No5
まなほ第35号
(2005/3/31)
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新解読「や」を解く
・編集部のティータイム(名は体を表す)
・「や」拾い書き
※「八」が作った国日本・「国生み神話」の謎の言葉を解読。伽耶と倭を繋いだ兄姉イザナギは「繋ぎの開祖」イザナミは「繋ぎの女王」だった。
2004年度No6
まなほ第36号
(2005/5/31)
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『万葉集』巻19-4268・孝謙天皇作
・宝鏡寺取材同行記
・『まなほ』既刊案内
※鉄の天皇聖武の娘は、鉄づくりにも精通していた。未曾有の鉄大消費、東大寺建立の最中「夏だからといって遊んでいるのは何事!」と大叱責。孝謙は結婚していた。夫は「皇太子」道祖(ふなと)と大炊(おほひ)の二人。
2005年度(F:2005年7月から2006年5月まで)    [TOP]  [HOME]  
2005年度No1
まなほ第37号
(2005/7/31)
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『万葉集』巻19-4268・孝謙天皇作・裏訓み
・編集部のティータイム(解読裏話あれこれ)
・難波の比売許曽神社
※孝謙の夫道祖(ふなと)と大炊(おほひ)、道鏡は、文武の孫だった。大炊の父、舎人皇子出生の秘話と、道鏡の出自を解明。 8世紀「日本天皇家系真図」掲載。
2005年度No2
まなほ第38号
(2005/9/30)
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『万葉集』巻13-3312・作者未詳
・「夢に見る泊瀬」(長谷寺取材同行記)
・編集部のティータイム(「飛騨高山取材」 こぼれ話)
※夜這いする天皇とは何者? スメロキとは「鉄山国王」の意だった。終句には孝謙への警告も……。孝謙没時の『続記』の記録は謎だらけ。
2005年度No3
まなほ第39号
(2005/11/30)
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「猿蟹合戦」を解く
・「蟹満寺探訪」(長谷寺取材同行記)
・地名平尾を辿る(寄稿)
・編集部のティータイム(溶接工場取材記)
※五大昔話の一つ「猿蟹合戦」には鉄を廻る葛藤が隠されていた。登場人物猿・蟹・臼・栗・牛の糞の正体は?韓国版「猿蟹合戦」である「おばあさんの虎退治」とはどう繋がるのか。地名「平尾]は本当に鉄関連地なのか。全国50余の三分の一を検証。
2005年度No4
まなほ第40号
(2006/1/31)
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日本書紀歌謡69・木梨軽皇子作
・編集部のティータイム(講演報告)
・巾着田の曼珠沙華と高麗神社を訪ねて
・一時間100単語「足」から「私」まで
※木梨軽皇子と軽大娘兄妹の情事に政変まで、再創作された歌からは天智と間人兄妹が双子だったことや家系まで明らかになる。東京・大阪での来日講演報告と日本語の語源100単語一覧表も掲載。
2005年度No5
まなほ第41号
(2006/3/31)
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日本書紀歌謡69の真相を明かす
・伊予・道後温泉を検証する
・編集部のティータイム(40号までを振り返って)
※『書紀』の謳う「万世一系」は大ウソだった。天武の子・文武の子が天智の子とされ、実子は消され、「そして、誰もいなくなった」。『万葉集』の新解読から再構成された「真の系図」も掲載。
2005年度No6
まなほ第42号
(2006/5/31)
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桃太郎の謎を解く
※五大昔話の一つ「桃太郎」に隠された秘密を解読。桃太郎は高市皇子だった。お供の犬・猿・雉は誰か?気比神宮にあった桃太郎神像の謎は?皇子と名を取り替えた気比大神とは何者?高市皇子のダブルイメージ安閑・宣化天皇の和風諡号が証言するものは……。
2006年度(G:2006年7月から2007年5月まで)    [TOP]  [HOME]  
2006年度No1
まなほ第43号
  (2006/7/31)
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釜石の地名と虎舞の謎
・釜石同行記
※虎のいない日本の、しかも東北地方の太平洋沿岸で何故、「虎舞」が舞われているのか。ヒントは日本海を流れる超高速海流にあった。「かまいし」の語源は「魚を干すところ」という従来説をばっさり。
  ・東北地方の地名「アイヌ語源説」は、枕詞同様巨大な屑籠。
2006年度No2
まなほ第44号
(2006/9/30)
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『万葉集』巻8-1537・1538・山上憶良
・編集部のティータイム(秋の七草のフシギ)
・多氏一族の足跡を訪ねる(寄稿)
・『原色牧野植物図鑑』による「秋の七草」
※「萩・尾花……」広く親しまれる「秋の七草」はこの憶良の歌に始まるとされる。秋の花を列挙しただけに見せかけ作歌は、二首で聖武を叱咤激励していた。
2006年度No3
まなほ第45号
(2006/11/30)
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『万葉集』巻8-1653・県犬養娘子作
・『源氏物語』と県犬養宿禰橘三千代
・編集部のティータイム(なでしこアラカルト)
・多氏一族の足跡を訪ねるU(寄稿)
※不比等の妻県犬養三千代は文武の息子高安王を生んでいた。衝撃の事実はまたしても『源氏物語』に裏付けられた。
2006年度No4
まなほ第46号
(2007/1/31)
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『万葉集』巻8-1654・大伴坂上朗女作
・『源氏物語』と坂上郎女
・古代宮廷人物比較系図
・「花祭り」を見る
・編集部のティータイム(謡曲「翁」は鉄作りの歌)
※『万葉集』に84首を残した大伴家の家刀自、坂上朗女は三千代と文武を「いい気味だ!」と詠っていた。
2006年度No5
まなほ第47号
(2007/3/31)
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『人丸秘密抄』の謎を解く
・『源氏物語』と柿本人麻呂
・「人麻呂の里を訪ねて」(益田柿本神社同行記)
・「柿本大明神」(柿本人麻呂秘伝はどのようにして生まれたか)
※歌聖として崇められた柿本人麻呂は、聖武天皇の実父。母宮子と人麻呂の関係を暴く江戸時代の秘伝書には暗号のように記されていた。聖武は父に捧げるため大仏を建立した。
2006年度No6
まなほ第48号
(2007/5/31)
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『万葉集』巻6-989・湯原王作
・「怨霊物語」(湯原王の息子壹志濃王とは?)
・編集部のティータイム(お花見四方山話)
※鉄城王こと志貴皇子の息子・光仁の兄湯原王は、酒を賄賂に鉄を入手していた。政権交代の嵐の中で必死に生き抜く姿があらわに……
2007年度(H:2007年7月から2008年5月まで)    [TOP]  [HOME]  
2007年度No1
まなほ第49号
(2007/7/31)
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『万葉集』巻3-236・天皇作
・『源氏物語』の中の草壁皇子
・『源氏物語』比較系図
・編集部のティータイム(『旧約聖書』から)
※草壁皇子は母持統の手の者に「縛られてころされた」?持統天皇に繰り返し草壁消しを囁いた志斐嫗とは一体何者?
2007年度No2
まなほ第50号
(2007/9/30)
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「美しい日本語」の語源(上)
・編集部のティータイム(語源あれこれ)
・李寧煕の変転の法則
※あかつき・あずま・雨・霰……たから・かしわ・かっぽれまで「純やまとことば」こそ「純韓国語]だった。具体的な韓国語から「詩」へと昇華した日本語の数々。
2007年度No3
まなほ第51号
(2007/11/30)
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「美しい日本語」の語源(下)
・宗像同行記
※「大地に生える毛が木」「幸せをもたらす鉄器がさち」「日本美学の中心概念詫びと寂びとは?」たそがれは「誰そ彼」ではない……
2007年度No4
  まなほ第52号
  (2008/1/31)
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諡号「神武」「神日本磐余彦」を解く
・「鬼の里国東」取材同行記
・編集部のティータイム(DNA鑑定の行方)
※天武天皇の前身は高句麗将軍淵蓋蘇文。筑紫・安芸・吉備・河内・草香……「神武東征」の道は「鉄の道」だった。
2007年度No5
まなほ第53号
(2008/3/31)
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「美しい日本語]の語源U(上)
・糸島半島取材記
・編集部のティータイム(両面宿儺の謎)
※身体語・天体語・数詞は基礎語の三つの桂で、この三つが一致すれば二つの言語は同系統と見倣される。天体語「月」を中心に、父・母・乳・時・名・菜・魚などの日本語の語源を解明。
2007年度No6
まなほ第54号
(2008/5/31)
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「美しい日本語」の語源U(下)
・編集部のティータイム(日本の従来の語源説は珍説・奇説・笑説?)
※「美しい日本語の語源」シリーズ最終回。「はじかみ」「ひなた」「ひねもす」「ひよこ」から「笑う」「われ」まで純日本語ぽど純韓国語だった。
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2008年度No1
まなほ第55号
(2008/7/31)
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『万葉集』巻19-4224 ・ 藤原皇后作
・『源氏物語』の光明子
※光明子はやはり文武の娘だった。父の住んだ吉野宮を修復して見まわる光明子と聖武。新羅言葉のつぶやきを側近が筆記していた。
※『源氏物語』がモデル小説であることを証明するモデルたちの群れ。紫式部のイジワルな設定も明らかに……。
2008年度No2
まなほ第56号
(2008/9/30)
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「古事記歌謡50」天皇作
・編集ティータイム(古い記憶を捨てない日本人)
・『李寧煕が解いた古代地名を歩く』を出版して(寄稿)
※天皇が酒に酔って歌ったという歌には鉄作りの技術者を迎え、やれやれと胸をなで下ろす心情が吐露されていた。酒作りと鉄作り、セットの歌。
2008年度No3
まなほ第57号
(2008/11/30)
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志貴皇子の秘密に迫る
・『源氏物語』と鏡王女
・ススコリの村を訪ねる(寄稿)
・編集部のティータイム(ススコリ・瓜・七夕・東歌)
※志貴は父天武の影武者だった。東国の勢力掌握に活躍。死に行く鏡王女の願いに応え枕元に立ったのは影武者だった。第56号で解読されたススコリの村は京都郊外に実在した。酒屋神社も発見。実地踏査の記録。
2008年度No4
まなほ第58号
(2009/1/31)
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『万葉集』巻1-27・天皇作
・吉備の中山の姫社
・編集部のティータイム(吉備路を訪ねて)
※「持統が文武の子を生んだ」吉野で密告者が現れ、持統はついに天武に謝った。天武は文武そっくりな舎人を「見よ、見よ]と叫ぶ。偶然、岡山で発見した女神ヒメコソは鉄の女神。
2008年度No5
まなほ第59号
(2009/3/31)
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和風謐号「足(たらし)」に迫る
・編集部のティータイム(諡号の魅力)
・玄界灘沿岸、北部九州を歩く(上)(寄稿)
※8人の天皇と1人の皇后の諡号につけられた「足」は、朝鮮半島からの「逃亡者」を指す名称だった。「足」のつく諡号に迫る。いち早く日本列島にやって来た濊の人々の足跡を糸島半島を中心に実地踏査。
2008年度No6
まなほ第60号
(2009/5/31)
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『催馬楽』真金吹
・編集部のティータイム(諡号の魅力)
・玄界灘沿岸、北部九州を歩く(下)(寄稿)
※催馬楽はサイバラ「鉄続き野」の意。サガ(鉄磨き)天皇は平安文化の礎を築いた。福岡・宗像を中心に韓国茶戸里まで足を伸ばした実地踏査の後編。
2009年度(J:2009年7月から2010年5月まで)     [TOP]  [HOME]  
2009年度No1
まなほ第61号
(2009/7/31)
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『万葉集』巻8-1461紀郎女作・巻8-1463大伴家持作
・信濃を訪ねる(前編)
・編集部のティータイム(「恋」物語)
・『まなほ』既刊の内容
※紀郎女は夫に代わり合歓に託して家持に鉄をねだっていた。鉄城一家の没落を実感させる切実な歌。家持は明確な返答を避けた。
2009年度No2
まなほ第62号
(2009/9/30)
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『万葉集』巻8-1465藤原夫人(五百重娘)作
・花散里はもうひとりの五百重娘
・信濃を訪ねる(後編)
※文武の子新田部を生んだ五百重は、文武に「鉄城王よ鉄を取りに行け」と叱咤していた。『万葉集』の「ほととぎす」は殆ど文武の別名だった。
7年に一度、善光寺のご開帳に誘われて出かけた信濃は巨大古墳・銅鐸・銅剣同時出土と「鉄出る地」に恥じない古代王国だった。
2009年度No3
まなほ第63号
(2009/11/30)
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『万葉集』巻8-1466志貴皇子作
・編集部のティータイム(ほととぎす)
・寄稿・信濃路を歩く(上)
※五百重に従って文武は鉄を取りに行った。突然訪問され困惑する志貴に文武は「手を結ぼう」と提案。
2009年度No4
まなほ第64号
(2010/1/31)
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『万葉集』巻第8-1467 弓削皇子の歌一首
・編集部のティータイム(ほととぎすその2)
・寄稿・信濃路を歩く(下)
※弓削は志貴に「長皇子を巻き込んで鉄野を掌握しよう」と提案。品治を皇位につけるべく動こうとしていた。
信濃路を北から南まで歩いて古代信濃の人や文化の流れは日本海からと検証した「信濃を訪れる」の完結編。
  2009年度No5
まなほ第65号
(2010/3/31)
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『万葉集』巻第1-73長皇子作
・昔脱解と金首露王
・編集部のティータイム(『鉄を制する者国を制す』)
・赤塚諏訪神社の田遊び
※長皇子は製鉄巫女を連れて海を渡り、鉄作りで文武の登極に尽力する意志を宣言した。

 2009年度No6
まなほ第66号
(2010/5/31)
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シナノ 信濃の地名と方言を考察する
・慶州取材記
・編集部のティータイム(シナノ物語)
※鉄のシナノ各地の地名は鉄に溢れていた。「21世紀に残したい信濃方言」ナンバーワン「ずく」は、やはり古代韓国語だった。

2010年度(K:2010年7月から2011年5月まで)     [TOP]  [HOME]  
2010年度No1
まなほ第67号
(2010/7/31)
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『万葉集』巻1-2 ・ 舒明天皇作
・編集部のティータイム(謐号は語る)
・越路を行く(1)(寄稿)
※舒明こと百済武王が香具山から見た煙は「民の竈」と「製鉄の煙」。舒明の「国見歌」は「ヤマトと百済讃歌」だった。
古代の表玄関越の国。福井県南越前町から北上し、検証開始。

 2010年度No2
まなほ第68号
(2010/9/30)
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『万葉集』巻第14-3374 武蔵国歌
・編集部のティータイム(名月・武蔵野・下野)
・藤原のルーツを訪ねる(寄稿)
・『まなほ』既刊の内容
※孝謙と道鏡は東で国造りをしていた。東歌はやはり「報告書」だった。
王陵級の王墓から日本式割竹木棺が発掘された韓国慶尚南道昌寧は藤原氏のルーツの地。光と水の古代非火伽耶の実地調査記録。

2010年度No3
まなほ第69号
(2010/11/30)
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『万葉集』巻16-3827・長忌寸意吉麻呂作
・二組の双子の天皇
・越路を歩く(2)(寄稿)
※『まなほ』創刊号で人麻呂の歌と共に解読された長忌寸奥麻呂の巻第3- 265歌は人麻呂の死に繋がる歌だった。双六の数字をよんだ単純な歌に見 える巻16-3827歌も、双子姉妹が天皇位を継承した証言歌だった。
『書紀』顕宗・仁賢紀に書かれていた元明と元正の記録。
前編福井県に引き続き、石川県を経て富山に至る越路の検証では、伽耶人 から高句麗人の足跡を目にできた。
2010年度No4
まなほ第70号
(2011/1/31)
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『万葉集』巻3-393 ・ 満誓沙弥作
・養老改元の真相
・69号までを振り返って
※満誓沙弥こと笠朝臣麻呂は、双子の姉元正Aの夫だった。不比等は双子 の妹元明とも関係を持つ。元正は二人いた!
2010年度No5
まなほ第71号
(2011/3/31)
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『万葉集』巻1-76 ・ 元明天皇作
・『続日本紀』の書かれ方
・編集部のティータイム(饕餮(とうてつ)・宣命)
・古代伽耶の地を訪ねて(前編)(寄稿)
※申年に殺された人麻呂の亡霊が女帝を恐喝する。平城遷都の理由は申年 の恐怖だった。
2010年度No6
まなほ第72号
(2011/5/31)
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『万葉集』巻1-78 一書云、太上天皇御製
・編集部のティータイム(「東日本大震災」)
・古代伽耶の地を訪ねて(後編)(寄稿)
※歌の作者は元明天皇ではなかった。明日香に残るという姉の言葉に捨て 台詞で応える元明。元正Aは二度即位していた事実も明らかに……。

2011年度(L:2011年7月から2012年5月まで)     [TOP]  [HOME]  
2011年度No1
まなほ第73号
(2011/7/31)
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『万葉集』巻1-79 ・ 或本、藤原京より寧楽宮に遷りし時の歌
・編集部のティータイム(双子物語)
・既刊案内
※作者不詳の歌は、元正Aの作だった。毅然と「奈良へは通う」と宣言。
2011年度No2
まなほ第74号
(2011/9/30)
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第74号では『懐風藻』の謎
・編集部のティータイム(漢字のことなど)
・「大和の中の加耶(寄稿)
※日本最古の漢詩集は『万葉集』新解明の鍵だった。葛野王・文武天皇・長屋王そして、『万葉集』に一首も残していない藤原不比等の作品を通して、歴史を探る。

2011年度No3
まなほ第75号
(2011/11/30)
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第75号では、日韓古代交流の真相 −『三国遺事』の記述などをもとに
・細烏女の足取り
・アメノヒボコの足跡を辿る(寄稿)
※『書紀』の新羅王子天日槍は、『三国遺事』の延烏郎だった。延烏郎は鉄作りをするため日本へ渡ってきた。その目的は昔氏の復権だった。
※延烏郎の妻細烏女はどうやって日本に来たか、また延烏郎こと天日槍の足取りはつかめるのか

2011年度No4
まなほ第76号
(2012/1/31)
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第76号では仲哀紀の『栲衾新羅国』の謎を解く
・岡山の地名をたどる
・編集部のティータイム(新羅伐休王は昔脱解の孫)
※「拷衾」は拷で作った「布団」ではない。眩い金銀で彩られた新羅讃歌。「長刀」の意の吉備こと岡山は「鉄のワンダーランド」だった。
2011年度No5
まなほ第77号
(2012/3/31)
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第77号では、牛窓 唐子踊りの謎を解く@行事に迫るA歌詞に迫る
・出雲路を歩く(その一)(寄稿)
※唐子踊りは伽耶の稚児舞。鉄鉱石を探しに地中へ向かう少年の姿を再現。寄稿は、李寧煕先生解読の出雲各地を実地踏査。

2011年度No6
まなほ第78号
(2012/5/31)
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第78号では神功皇后の謎を解く
・出雲路を歩く(その二)(寄稿)
・編集部のティータイム(閏年あれこれ)
※神功皇后とは持統のこと。新羅のクーデター首謀者を懲戒した事実が「新羅征伐jの真相だった。

2012年度(M:2012年7月から2013年5月まで)     [TOP]  [HOME]  
2012年度No1
まなほ第79号
(2012/7/31)
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第79号では、前方後円墳の謎を解く
・前方後円墳について
・金蔵山古墳の埴製盒子
・編集部のティータイム(「考える」)
※前方後円墳は韓半島から移動した。前方後円墳の「前方」部は鉄器倉庫だった。韓国固城現地取材をまじえた考察。

2012年度No2
まなほ第80号
(2012/9/30)
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第80号記念特集では、
韓国語と日本語『李寧煕の変転の法則』を中心に
・編集部のティータイム(80号を迎えて)
※法則に則って、日本語と化した韓国語。十二法則を一挙掲載。

2012年度No3
まなほ第81号
(2012/11/30)
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第81号では、 応神天皇の謎を解く
・王仁の足跡を辿る
・上野公園の王仁碑
・出雲路を歩く(その三)(寄稿)
※応神天皇とは、百済王子辰孫王と新羅王文武のダブルイメージで作り上げられた天皇だった。百済から王仁博士の顔で来日した辰孫王は、日本で二番目に大きな前方後円墳の主になった。

2012年度No4
まなほ第82号
(2013/1/31)
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第82号では、 『万葉集』巻第二−八五・磐姫皇后作
・編集部のティータイム(水田のことなど)
・出雲路を歩く(その四)(寄稿)
※応神天皇皇后磐鮭は何故、八田皇女にあれほど嫉妬したのか。日本史における濊の存在の大きさがうかがい知れる一首。
2012年度No5
まなほ第83号
(2013/3/31)
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第83号では、 『日本書紀歌謡』41
 応神天皇31年、老朽化した官船「枯野」の焼け残りの材で琴を作って奏でると美しい音は遠くまで響いた。
羅怒烏 之褒珥椰枳 之餓阿摩離 虚等珥菟句離  枳譬句椰 由羅能斗能 斗那能異句離珥 敷例多菟  那豆能紀能 佐椰佐椰
・小豆島の応神天皇
・編集部のティータイム(「一万時間の法則」など)
※もう一人の広神こと文武大王は、炭を作って新羅に送っていた。100万都市ソラボルを支えた鉄の陰に日本の炭があった。
2012年度No6
まなほ第84号
(2013/5/31)
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第84号では、 『万葉集』巻3−391
 造筑紫(ぞうつくし)觀世音寺(かんぜおんじ)別當(べったう)沙弥(さみ)満誓(まんせい)歌一首
鳥総立 足柄山尓 船木伐 樹尓伐帰都 安多良船材乎
・笠氏の跡を辿る
・編集部のティータイム(解読こぼれ話)
※二重義のハイライト「足柄山」は「韓のお姫さま」をあらわしていた。 「尊いお方だったのに」という麻呂の後悔の歌。

2013年度(N:2013年7月から2014年5月まで)     [TOP]  [HOME]  
2013年度No1
まなほ第85号
(2013/7/31)
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『まなほ』で読み解く日本史と日本語
・天武天皇終焉の地、敦賀(寄稿)
※『まなほ』84冊で解読された日本史と日本語の総まとめ。八世紀日本天皇家真の系図掲載。(李寧緊先生骨折入院のため内容変更になっています)

2013年度No2
まなほ第86号
(2013/9/30)
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第86号では、 『万葉集』巻8−1513・穂積皇子御歌
・八雲立つ出雲
・編集部のティータイム(語源新解読の楽屋話)
※不比等が企てた聖武立太子を「足りない」と批判。皇太子入れ替えを要求した穂積は消された?聖武はそっくり真似た歌で反論した。

2013年度No3
まなほ第87号
(2013/11/30)
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第87号では、 金庾信(キムユシン)の息子達
・『渡氏物語』の中の、金庾信の子どもたち
・探訪・美作の鉄
・編集部のティータイム(最古の文字を刻んだ土器と鉄剣のことなど)
・愛隣文化賞授賞式写真
※日本の土台を作った文武。金庾信の子供たちは、長男・次男・娘・孫までこぞって来日し、文武を支えていた。
2013年度No4
まなほ第88号
(2014/1/31)
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第88号では、 『かぐや姫』を洗う
・民話に見える竹
・編集部のティータイム(女性文化賞のことなど)
※「日本最古の物語」とされる『竹取物語』は「物語」ではなく「歴史」だった。文武天皇は孫の聖徳王に役行者の娘を娶せた。全盛期の新羅の都徐羅伐で繰り広げられた新羅王の華麗な結婚式には204人の日本使臣も参席していた。
2013年度No5
まなほ第89号
(2014/3/31)
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第89号では、『万葉集』巻3−282 春日蔵首老歌一首
・香春に比売許曽を訪ねる
・編集部のティータイム(金、銀、銅の前に鉄!)
※春日蔵首老は新羅から来た製鉄技術者だった。文武に引き立てられた老がいやいやながら不比等に連なり、聖武を皇位につけるべく動いた事情が見える歌。

2013年度No6
まなほ第90号
(2014/5/31)
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第90号では、 『金官伽耶』の謎を解く−「唐子踊り」(ひたい)の十字の謎も併せて
/日本の中の金官伽耶・仕田原猛(寄 稿)/金海取材同行記 ※「鉄鉱石を砕き研ぐ国」の「生鉄里」には鉄・銀・鉛の採れる山 があった。伽耶は日本に「引っ越し」した。証拠の神社が飛鳥に。 寄稿は考古遺物を中心とした金官伽耶の足跡を網羅。
2014年度(O:2014年7月から2015年5月まで)     [TOP]  [HOME]  
2014年度No1
まなほ第91号
(2014/7/31)
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第91号では、「金官伽耶」没落の謎を解く−「唐子踊りの額の十字の謎も併せて
日本の中の阿羅伽耶・小伽耶・大伽耶・仕田原猛(寄稿)/ 丹生茶碗祭りを見る ※大男智証王率いる新羅に浸食された金官伽耶の日本での拠点は吉 備だった。寄稿は日本中の伽耶人進出地を推定。 天日槍を祀る鉛錬比古神社のある滋賀県余呉町に伝わる「茶碗祭り」 は「湖北の奇祭」と呼ばれる。五年ぶりに催行された祭りのレポー ト。
2014年度No2
まなほ第92号
(2014/9/30)
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第92号では、 十辺舎一九の辞世を解く
十返舎一九の墓/編集部のティータ イム(方向を間違うと徒労に終わる) ※写楽こと金弘道を支えた十返舎一九の父は朝鮮通信使通訳。その 辞世には、父の国を思う心情が吐露されていた。
2014年度No3
まなほ第93号
(2014/11/30)
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第93号では、災難を解決する「笛」の正体を解く
新羅第三十一代神文王 (六八一〜六九二・文武王の長男)の時代に作られた六孔の笛は 「萬波息笛(マンパシュクジョク)」と呼ばれていた。「東海の龍から授かったというこの笛を吹くと、すべての災難が解決する」 とされていた。
:ふしぎな宝島「竹島」を洗う/鬱陵島同行記/編集部のティー タイム(江戸時代は面白い) ※『三国遺事』に登場する「萬波息笛」は「難事解決」を意味する 笛名だった。笛が作られた竹の生える「竹島」を実地調査。鬱陵島 からは独島が見えた。
2014年度No4
まなほ第94号
(2015/1/31)
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第94号では、 『万葉集』巻第10−2113
手寸十名相 殖之名知久 出見者 屋前之早芽子 咲尓家類香聞

『万葉集』巻第10-2113/吉備の鉄を訪ねる/編集部のティータ イム(解読奮戦記) ※棒抜きの初句を始め埒の明かない第二句、「よめた」はずの終句に は二重詠みが隠されていた。今までの万葉解読では解けない手法で 書かれた歌は、全文暗号で「ひとまとめにして助けよ」という命令 だった。ティータイムではその解読裏話を紹介。

2014年度No5
まなほ第95号
(2015/3/31)
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第95号では、『万葉集』巻第8−1495大伴家持の霍公鳥の歌
足引乃  許乃間立八十一  霍公鳥  如此聞始而  後将恋可聞

:『万葉集』巻第8-1495・大伴家持作/大和路を歩く・仕田原猛 (寄稿)/編集部のティータイム(志摩半島訪問)/二シブ三頭八 足の地(韓国民話より) ※家持の歌で激しくけなされていたのは女帝元明だった。性交を表 現する「霍公鳥」は文武の別名として使われていた。

2014年度No6
まなほ第96号
(2015/5/31)
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第96号では、 『万葉集』巻第3−304柿本朝臣人麻呂下筑紫國時海路作歌
大王之 遠乃朝庭跡 蟻通 嶋門乎見者 神代之所念

:『万葉集』巻第3-304・柿本朝臣人麻呂作/神武の上陸地・船出 ・発航の地を巡る/編集部のティータイム(「鉄取材」回想記) ※人麻呂の「所念」で終わる歌は、天武に対し「実子文武に気をつ けよ・防備せよ」と呼びかけていた。

2015年度(P:2015年7月から2016年5月まで)     [TOP]  [HOME]  
2015年度No1
まなほ第97号
(2015/7/31)
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第97号では、 :韓半島から日本列島への道/隠岐訪問 ※日本海に浮かぶ島隠岐を経て日本へやって来た人々の群れには、 三輪の神になった新羅男や神功皇后の祖先、知恵と医薬の神少彦名 やオロチ退治で有名な素戔嗚、役行者といった多彩な顔ぶれが並ぶ ※李寧煕先生の入院で内容が変更になっています
2015年度No2
まなほ第98号
(2015/9/30)
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第98号では、 『万葉集』巻第1−64慶雲三年丙午幸于難波宮時 志貴皇子御作歌
葦邊行 鴨之羽我比尓 霜零而 寒暮夕 倭之所念

:『万葉集』巻第1-64・志貴皇子作/志貴皇子ゆかりの寺百毫 寺/編集部のティータイム(「所念」をめぐって) ※文武の死を予測。鉄集め令を出して備えよという志貴皇子の歌の 「所念」もやはり「防備せよ・備えよ」であった。 志貴皇子の山荘を寺にしたという百毫寺に残る不動明王など憤怒の 像たちは志貴の怒りを表しているのか。
2015年度No3
まなほ第99号
(2015/11/30)
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第99号では、 『万葉集』巻第20−4297天平勝寶五年八月十二日二三大夫等各提壷酒 登高圓野聊述所心作歌三首
乎美奈弊之 安伎波疑之努藝 左乎之可能 都由和氣奈加牟 多加麻刀能野曽

:『万葉集』巻第20-4297・大伴家持作/隠岐経由の.人たち(そ の2)/編集部のティータイム(祭祀のことなど) ※志貴ゆかりの百毫寺は「手寸十名相」で詠まれた志貴皇子たちの 「隠れ家」であった。家持は高円の地に祭祀を捧げるため酒壺を持 って行った。

2015年度No4
まなほ第100号
(2016/1/31)
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第100号では、 『万葉集』巻第20−4516三年春正月一日於因幡国庁、賜饗国郡司等之宴一首
新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家余其騰

:『万葉集』巻第20-4516大伴家持作/編集部のティータイム (百号!)/弓削島を訪ねる ※『万葉集』の最後の歌、家持が公式行事で詠んだ歌は、「夜も仕 事(武具作り)を続けよ」との激励の句で終わっていた。新羅との 決別を念頭に置いた作。日本は独自の道を歩み始めた。
2015年度No5
まなほ第101号
(2016/3/31)
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第101号では、 『万葉集』巻第9−1665崗本宮御宇天皇幸紀伊國時歌二首
為妹 吾玉拾 奥辺有 玉縁持来 奥津白浪

:『万葉集』巻第9-1665作者未詳/蛭子・少彦名・昔脱解・八束 水臣津野命そして一寸法師は同一人物/まなほ百号を振り返る ※斉明に同行した男は新羅言葉で歌を詠んでいた。
2015年度No6
まなほ第102号
(2016/5/31)
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第102号では、 『万葉集』巻第9−1667大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊國時歌十三首
為妹 我玉求 於伎辺有 白玉依来 於伎都白浪

:『万葉集』巻第9-1667作者未詳/まなほ百号を振り返る2/既 刊102号まで/「不飛不鳴」 ※後押しをしてくれた志摩の人々に入手したものを分け与えるとい う文武の宣言歌は実行された。